ウラでは・・・
士業をやっていると「先生」と呼ばれます。
相手の多くは私を立てようとしてくれます。
私など立ててもらうほどの存在でもないと思いますが,気を遣ってくれるのです。
ですが,これが曲者です。
私がいないところではどういわれていることやら?
だって,私を立てるといっても
「先生はこうして親切に教えて下さるけど,●●先生はもう高飛車で・・・」
というような話です。
きっと●●先生のところでは
「いやあ,高橋先生はいつもあんなにエラそうにするのですかね?」
と言っているだろうと想像できるからです。
「そこにいない人の悪口を聞いたら,陰では自分が同じように言われていると思え」
これは私自身が気付いた教訓みたいなものです。
その人のいない場所で噂話(概ねマイナスイメージ)をする人は,あなたのいないところでは
あなたの悪口を言っていると思って間違いないでしょう。
場合によっては
「高橋先生が『●●先生は高飛車で困る』と言っていましたよ」
という形になっている可能性さえあるのです。
誰かの噂話が始まったら要注意。
ウラではきっと自分自身のことが・・・。
多面性
人は色々な側面を持っています。私の鬱病の主治医は
「人の心の多面性は科学の力では解明しきれない」
と言っていました。
大学病院ではメスが切れる外科医で一流の医学者だが傲慢,その人が家庭では優男ぶりを発揮し,
愛人の前では弱さも本音もすべてさらけ出すー「白い巨塔」の主人公財前五郎をみても
人の顔の数がいくつもあることに気づきます。
誰でもこれは同じで,私自身も意識的に別のキャラクターを演じていた時期が長くありました。
あまりに演じすぎると,徐々に自分自身がみえなくなり,ほんらいの自分がわからなくなってしまいます。
そして,演じるということは,おそらくは何かに対する防御のためなのだろうと思います。
ただ,ふとした瞬間に本音というか,その人の素顔がのぞく場合があります。
知的な人格者ーそう思っていた人が,ポロリと漏らした言葉に傲岸不遜なものがあったり。
反対に,軽いお調子者だと思っていた人が,実は熱い正義の心を持っていたり。
さて,どれがその人のほんとうの顔なのでしょう?
人間観察はなかなか面白いものです。
これは自分自身が忌み嫌っていた会社員生活で,多くの加害者・被害者を目の当たりにしてきた経験の賜物かも。
あるいは組織人として人をみること,人にみられることを意識してきた結果かもしれません。
そう考えると,経験に価値のないものはないと思います。
とはいえ,その経験の積み重ねが重荷になることもあります。
みたくないものがみえてしまうことがあるからです。
「なにげないひとことに人の本質が潜んでいる」
つらいですが,これを実感する経験をすることも多いのです。
★ 上4枚の写真は財前五郎を演ずる田宮二郎さん。
うち1枚には共演の清水章吾さんと河原崎長一郎さんが,そして,重要な役どころである柳原医師役の高橋長英さんが写っています。
別の1枚には愛人花森ケイ子役の太地喜和子さんが写っています。
そして,権力の権化のような東都大学の船尾教授を演ずる佐分利信さん。
権威主義のお高く留まった教授から真摯に人に向き合う医学者への変化をみせる東教授役の中村伸郎さん。
多くの方が鬼籍に・・・でもこのドラマは永遠に不滅でしょう。