福岡県糸島市 司法書士 ブログ

楽しい学習塾

ネタを仕込む塾

私は中学校1年生になると同時に、地域では伝統ある進学塾に通いました。

週2回、科目は数学と英語。

塾の先生は親子2人で、父親が英語、息子が数学を教えていました。

この父親先生が最高でした。

「えんぴつ」や「えいご」を「えんぴつ」「えいご」と発音するのです。

英語の発音もローマ字読みっぽく、“book”を「ボック」と発音していました。

なによりも楽しかったのは、徹底した和訳をすること。

“This is a notebook.”は「これは1冊の帳面であります」というように。

cameraは「写真機」、albumは「写真帳」。

“It’s an orange”を和訳するように指示された私。

「それは1個の温州ミカンであります」と言ってみたら「そのとおりだね」。

この「和訳の徹底」を中学校の授業でやったら大ウケです。

厳しいといわれていた英語の先生まで笑っていました。

その塾に通っていないクラスメイトまで真似し始めます。

「ぃえんぴつ」や「ぃえいご」も流行しました。

“Look at this picture”は「この絵をみてください」で大爆笑という具合に。

しかし、楽しい日々は長くは続きませんでした。

父親先生が急死。

塾は楽しくなくなり、私はやめることにしました。

理由は、「バスで通うのは時間がもったいないから」。

さらに「父親の先生が亡くなったので、勉強が面白くなくなった」。

母親が「通わせた」塾でしたので、理由が必要でした。

代わりに、徒歩3分の家庭的な塾に移籍することになります。

なお、この有名進学塾をやめたことについては、ご近所さんはこぞって

「ついていけなかったから」

というように理解していたようでした。

桃源郷のような塾

そこには隣の中学校の生徒ばかり。

おかげで隣の中学校の女子と仲良くなりました。

そのうちに私が通う中学校の女子も来るようになって楽しくなりました。

ほとんど遊びに行っているというか、息抜きに行っている状態。

複数の女子生徒と仲良くできる塾は、息苦しい家から逃げたい立場には桃源郷です。

というように、私には塾は「楽しく過ごす場」でした。

塾が与えるメニューを必死にこなし、それを高校受験のペースメーカーには・・・していません。

ただただ女子生徒と喋って過ごす時間を楽しんだだけです。

結果的には、私が東筑高校に合格したことで塾の名声が高まりました。

中学校卒業後の春休みには、父兄対象の私への質問会が開かれてしまいます。

その塾の生徒はかなり増えたようでした。

先生の娘さんが高2になったときに、英語の長文読解を夏休みに教えました。

速読法と大意把握から丁寧な和訳への流れなどを。

当時の私は大学生です。

夏休みの帰省中に、家にいたくなくて,またまた逃げ込んだようなものでした。

その娘さんは京都への修学旅行の際の自由時間に大学の見学に来ました。

そのアテンドもやりました。

結構、私は恩返しをしたような気がします。

けれども、2年にわたって週2回、各2時間を楽しく過ごさせてくださったご恩を・・・

返しきれないままのように感じています。

 ドラマ「高校教師」真田広之さんと桜井幸子さん

  私は学生時代に高校生を何人か教えています。なぜか女子ばかり。

  誓って悪さはしておりません。「個人教授」みたいなことはしておりません。ウソではありません。

  絶対にしておりません。本当です。

ブログ一覧へ戻る

お電話

メール

ページの先頭へ
Loading...