高市早苗国務大臣の総務省文書に関する「捏造発言」で騒動になっています。
さて、この問題の本質はなんでしょうか?
当該文書が「行政文書」かどうかはまったく問題ではありません。
各省庁が業務に関して作成する文書はすべて行政文書だからです。
A日新聞とM日新聞は、総務省が当該文書を
「行政文書であると認めた」
と大々的に報道し、高市大臣の発言を非難しました。
しかし、これは明らかな印象操作です。
新聞記者は端から問題の文書が行政文書であることくらい知っています。
「行政文書=内容の正確性が担保されている」
多くの人のこういう思い込みを利用した悪質な報道姿勢というほかありません。
行政文書は上記したように各省庁の業務に関して作成されるものです。
内容の正確性は問題ではありません。
私が特殊法人勤務の際にある中央官庁の官僚と打ち合わせた際のことです。
「このやりとりはメモも残さないでおきましょう。
行政文書として独り歩きすると好ましくないので」
ということで、口頭だけで話を済ませたことがあります。
次に問題なのは、松本総務大臣が国会答弁において
「上司の関与を経て」
という表現を使ったことです。
これは、高市総務大臣(当時)に説明が行われたかどうかについてのことでした。
高市大臣は「聞いていない」と一貫して主張しています。
この「上司の関与を経て」がクセモノです。
官僚組織やそれに類する組織では、ちょっとした文書でもすべて上司のチェックが入ります。
句読点の位置まで細かい指示を受けるのです。
そうすると、部下が作成した文書が上司により加工を受けることになるのです。
松本総務大臣はそれを指しているのですが、気づく人は少ないのかもしれません。
以上からわかるのは、高市大臣(当時)に対して説明があったことには確証がないということ。
もっと面白いことが分かったのは共産党議員の質問によってでした。
なんと件の文書が、省内の文書ファイル管理簿に搭載されていなかったのです。
ということは、行政文書として残すわけにはいかない内容を含んでいた可能性があることに。
保守派の代表である高市大臣を共産党が助けたというオチがつきました。
それにしても、官僚出身議員もいる野党に、事情を知悉するマスメディアのひどいこと。
印象操作で世論を操ろうというのは、あまりにも国民をバカにしているというほかありません。
★ 左は「衝動殺人 息子よ」の若山富三郎さん
右は「帰って来た極道」の若山富三郎さん
衣装や表情の作り方で印象は大きく変わります。
新聞などキャプション次第です。