普通の恋ー手をつないでお散歩、映画をみてお食事、そしてチュッ!
これが私は苦手でした。というか、うまくできなかったのです。
両親の折り合いの悪さや小学校時代のクラスメイトである女子児童の讒言、
それを信じて私の言葉を受け容れずに体罰を与えた女性教師。
こういう経験が、深い女性不信を私の心に刻みつけていたようです。
その私も「思春期」を迎えれば、普通に色気づくわけで、
いわゆる「おデート」的なことを繰り返すのですが、あまり面白くありません。
征服した気分が欲しくなります。
でもそういう気分になるのは一瞬であり、すぐに相手の存在が鬱陶しくなる。
あるいは、女性から寄ってくると逃げたくなる。
この繰り返しだったように思います。
なのに、普通の「ご交際」を望むのですからアンビバレントすぎます。
大学に入ると、不健全な私に不健全な精神の女性という組み合わせが、
いとも簡単にできあがることに気づきます。
彼氏から別れを告げられたり、就職に失敗したり。
そういう人のぬくもりを欲する女性と出会うようになりました。
しかし、不健全な者同士が身を寄せ合っても不健全なままです。
マイナスにマイナスを乗じるとプラスになるわけではありませんでした。
そういう関係ですから別れもあっさりしています。
「よりが戻ったからもう来ないで」や「好きな人ができたから」でおしまいです。
こちらもうだうだ言いません(相手もそれをわかっている)。
「じゃあね」というだけです。
内心は「またご用命がありましたらよろしく」。
そういうつきあい方が続くにつれて、ますます「普通の恋愛」をしなければ、と思うようになりました。
不健全な女性はすぐにみつかります。
でも、明るい陽射しの中を一緒に歩きたいような女性はなかなかみつかりませんでした。
たぶん、私自身がそういう人をみつけることができない人間だったのでしょう。
当時は「普通の恋」の難しさに絶望していました。
周りでは普通の恋が簡単に成立しているのに・・・と。
ただ、彼らの抱く健全な悩みに対しては、なぜか優越感を抱いたものです。
まさに不健全な精神に満たされた20歳前後だったのです。
結婚にも希望を抱かず、一人をとおすだろうという見通しがついていました。
そういう私も、まあ「普通の恋」をして普通に結婚しています。
運命といえばそれまでですが、きっかけや出会いは日常の中にある。
それに気づくかどうかで進む方向が決まってくる-気づいたのは50代になってからでした。
★ 「やまとなでしこ」の松嶋菜々子さんと堤真一さん
主人公である桜子の精神は十分に不健全です。