福岡県糸島市 司法書士 ブログ

憲法記念日に

改憲の議論から逃げる

今日は憲法記念日です。

安倍首相の再任後, 漸く改憲に関する議論が盛んになるかと思いきや,

ある野党の党首は

「安倍内閣の下では改憲の議論に応じない」

という論理性のまったくない感情的な発言をしてしまうなど,国民の生命と

財産を守るために何が必要か?という議論から逃げているようです。

今そこにある危機を前にして

私は, 我が国の平和憲法を誇りに思っています。

では平和憲法を持つことで国民の生命・財産が守られるのでしょうか?

永世中立国のスイスは中立を宣言しているものの,侵略を想定した準備をしています。

いくら「戦わない」と宣言しても,敵が「戦う」といえば,どうしようもありません。

寧ろ,侵略の好機であると捉えるでしょう。

翻ってみるに,我が国の防衛は米国に委ねられています。

自らの手で国を守るための自衛隊がありますが,その実力行使には幾重にも制約を課しています。

これは正常な国の姿ではありません。

国が国民の生命・財産を守ってくれるわけではないのですから。

南西諸島の領土は侵略の危機に瀕しています。

沖縄本島では護憲・反政府の動きが非常に活発ですが,八重山諸島では反対です。

台湾の問題を“clear and present danger”として人々が語っています。

自由がなければ・・・

このような護憲・反政府vs改憲のような対立的な議論が許されるのは,

偏に思想の自由,表現の自由が我が国で保障されているからです。

思想は自由です。人の内面に権力は踏み込めない。

これは人間を人間として認めるかどうかという問題です。

その人間は,自らの思想をどう表現するかを個々人の責任で判断することができます。

こういう自由がなくなるとすればどうでしょう?

「安倍,おまえは人間じゃない!叩き斬ってやる!」

と発言した政治学者がいました。

最近もある法律家が書いた

「幸いにも安倍首相が病気で退陣した」

という趣旨の一文を目にしました。

独裁国家に支配されてしまえば,その指導者を批判することは許されません。

収容所行ならマシ,下手をすれば死刑です。

この二つの例をもってしても我が国では自由が保障されていることがわかります。

国あってこそ

たしかに首相は公人として,その政策や政治姿勢,発言が批判にさらされる立場です。

いかように批判することも許されるかもしれません。

しかし「人間じゃない」とか「病気になったのはラッキー」のようなことを堂々と公の場で発言したり

文字媒体に発表するのは人としてどうなのでしょうか?

発言者や書き手の幼さには失笑を禁じ得ませんが,彼らが,こういう表現を自由にできる社会が

永続すると思い込んでいるとすれば,別の意味の幼さを感じないわけにはいきません。

その幼さゆえに,品位に欠ける表現をしてしまう自分たちの自由が

いかに国によって守られているか,そして,守ってくれる国が外敵からの侵略に対し

十分な備えをできていないという点に気づくことはないでしょう。

気づいていただくためにも,今こそそのための議論を始めなければならない。

そうしなければ手遅れになりかねないと思う次第です。

                                                               この本は,私が大学生になって最初に読んだ憲法の本です。

                                                               そして,その難解さに苦しみながらも何度となく読み返した思い出があります。

                                                               久々に私が好きな箇所を数十ページ読んでみようと思っています。

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