私が25歳の時の話です。
耳が不自由な若者が交通事故被害者になりました。
私が担当しました。
当時はメールなどありませんから、専らファクシミリで連絡をとりました。
文章からは明朗快活な性格が窺えました。
示談の際もわざわざ私が勤務する会社まで出向いて下さったのです。
手話通訳の方が同行し、円満に解決に至りました。
それから数か月後の新聞にその人の名前がありました。
逮捕されていました。超大手暴力団の構成員として。
容疑は強姦罪(今の強制性交罪)。
自身が通った聾学校の女子生徒に対する犯罪でした。
まさか、あの人が・・・と当時の私は驚きました。
障害者への性暴力は当時から存在したのです。
それが明るみになったケースは珍しかったかもしれません。
泣き寝入りが多いといわれていました。
今の法律とは異なり、当時は親告罪。
ただ、そのケースは当時でも親告罪ではないパターンでした。
卑劣極まりない犯罪です。
後年、あるヤクザと会う機会があり、この件を話してみました。
「高橋さん、わかりませんか?あいつらは行き場が少ないんですよ。
うちにも障害のある若い者がおります。社会があいつらを受け容れていますかね?」
私は虚を突かれた思いでした。
「社会や家族までが冷たくするから行き場がないんですよ」
ヤクザ組織には親父がいて兄貴もいます。兄弟もできます。
疑似家族に温かさを求める。
ヤクザが法を守らずカタギに迷惑をかける限り擁護する必要はないでしょう。
ただ、その一方で、社会に居場所のない人の最終受け入れ先として機能している。
「高橋さんは、なぜヤクザなんかに、と思われるでしょう。
でもこの事実は事実として理解してくれませんか」
ヤクザを認めろとはいわず、「事実を理解しろ」という表現にこのヤクザの賢さを感じました。
さらにその後に気づきました。映画です。
「修羅の群れ」(1984年)では吃音のやくざが登場します。
東映映画が「実録」を自負するのはこのあたりのリアリティの追及があったかもしれません。
なお、上記の超大手暴力団には聴覚障害者を中心とした組織が実在しました。
今はどうなっているかわかりません。
★ 「修羅の群れ」で横山新次郎役を演じる鶴田浩二さん(左)と主役の稲原龍二を演じる松方弘樹さん
稲原龍二は稲川聖城氏(稲川会初代会長)がモデルです。
監督が山下耕作さんだけに任侠ムードに溢れる作品になっています。
兄貴分横山が若き稲原に教えます。
「馬鹿でなれず利口でなれず中途半端はもっとなれず」
正統派ヤクザになるのは難しいのです。
なお、このセリフは柚月裕子さんが「孤狼の血」に使っています。
柚月さんの東映愛を感じさせます。