善光寺のびんずる尊者像が盗まれる事件が起きました。
びんずるは「賓頭盧」と書くのが正しいそうです。
サンスクリット語でピンドーラ。
頭がツルッとしているので「鬢」が「ズルッ」と剥けている意味かと思っていました。
さて、この事件の容疑者が語る動機がなかなか面白いのです。
「像に恨みがあった。あの像があると地震や事件が起きる。埋めてやろうと思った」
尊者像を恨む?
像の存在と地震や事件との因果関係は当然ながら明らかではありません。
かなりヘンな動機ですが、本人は真面目にそう語ったようです。
自分がやっていることは世のため、社会のため。
正しいことをやっているのだ!
これが刑法でいう「確信犯」です。
世間一般や報道で使われる「確信犯」は違った意味で使われています。
今や「悪事を悪事だとわかっていて行う行為」のように思い込まれてしまっています。
けれども、思想や信条といった確信に基づいて犯す罪が確信犯。
ドイツの刑法学者で法哲学者でもあるグスタフ・ラートブルフが提唱した概念です。
さらに、この容疑者は像を盗んだ後に破壊していません。
破壊していたらどうなるか?
刑法でいえば、器物損壊罪が成立しそうですが、実は・・・
器物損壊罪には問われないのです。
共罰的事後行為として、窃盗罪の中で評価されることになります。
共罰的事後行為のことを、以前は不可罰的事後行為といっていました。
けれども、不可罰というわけではないのです。
盗むという行為の中で、盗まれた物を使えなくしています。
つまり物の効用を害しているという評価をするのです。
窃盗罪で器物損壊行為まで含んで処罰する。
こういう考え方です。
共罰的というのはそういう意味の言葉です。
ちょっと間抜けな雰囲気が漂う事件ひとつをみても、刑法上の面白い話がいくつかできます。
この容疑者は犯行を認めており、問題なく起訴されるでしょう。
刑罰はどうなるか?
像は無事に戻っており、前科がなく身元を保証してくれる人がいるようですから・・・
「執行猶予付きの有罪判決」ではないでしょうか。
この結論が仏の御心に適うような気がします。
★ Gustav Radbruch(1878~1949)
びんずる尊者ではありません。
近代学派のリスト(Franz von Liszt)の弟子にして法哲学の大家。
ちなみに、ラートブルフの弟子にあたるのがカウフマン(Arthur Kaufmann)。
カウフマン教授が来日し、同志社大学で講演された際に私は出席の機会に恵まれました。