福岡県糸島市 司法書士 ブログ

「講義」への違和感

私が司法書士になる前から抱いている違和感。

それは「講義」という言葉の使い方です。

司法書士として登録する前に受けた研修を「講義」と表現していました。

やたらと「講義」を連発します。

たとえば、受験予備校でも提供するサービスを「講義」と呼んでいます。

「講師」と名乗る受験指導員も自分がやっていることを「講義」だといいます。

さて、これは正しいのでしょうか?

と書けば、正しくないという話だと思われるでしょう。

そのとおりで、正しくありません。

三省堂の大辞林によれば、講義は以下のような意味です。

① 人々に学説・書物・物事などの意味や内容を口頭で説明すること。

  また、その説明の話。

② 大学における授業。

この大辞林の説明に従うと、講義と呼ぶべき内容には学問的裏付けが必要であると思われます。

そうすると、司法書士会の研修は勿論、予備校の指導員が喋る内容は「講義」ではありません。

②と同義にとらえるなど、いくらなんでも不遜過ぎるでしょう。

司法書士会の研修は概ねが「説明会」であり、受験予備校のものは「ガイダンス」程度です。

 

どうして「講義」にしたがるのか?

その辺の心理的な分析はしなくてもわかるような気がします。

端的にいえば、自分たちがやっていることの「高級感」の演出でしょう。

それで、私は研修などでは、間違っても「講義」とはいわないようにしています。

なぜかというと、恥ずかしいからです。

とてもではありませんが、誰も高い学識に基づいた講義などできないのです。

精々が「紹介」とか「説明」「お話」のレベルでしょう。

自分がやっていることをどう表現するかは自由でしょう。

でも、身の丈に合わないような表現を使うと滑稽なのです。

控えめに、節度をもった表現にしたいものだと思っております。

ブログ一覧へ戻る

お電話

メール

ページの先頭へ
Loading...