CG映画の隆盛
最近のハリウッド大作についてはほとんどみていません。
なぜならCG全盛で,俳優が身体を張った仕事をあまりしなくなったからです。
コンピュータで作った画像をみるのにお金を払う気にはなれません。
だってどうにでもできるではありませんか。
そして,増えているのが「ありえないシーン」です。
CGゆえに表現できる迫真の場面もつまらないケースがほとんどです。
あまりにも主人公が幸運だったり,偶然に偶然が重なる以上に偶然が重なったり。
日本映画にもそういう傾向が顕著です。
ゆえに私がみる映画は専ら「古い映画」です。
役者の肉体
やはり役者さんが自らの身体で表現するアクションシーンには手に汗を握るものがあります。
本当に格闘しているわけではないのに筋肉の動きは本物にみえます。
人が身体を使って最大限の表現をする―そこに感動が生まれるように思います。
「リアリティ」というタイトルで刑事ドラマの昨今について書きましたが,この身体の使い方こそが
「リアリティ」を生むか否かの分かれ目なのかもしれません。
それはアクション作品にかぎらず,文芸作品でも感じます。
デ・ニーロアプローチ
ところで,役者さんが役柄に合わせて太ったり痩せたりすることがあります。
デ・ニーロアプローチと呼ばれ,ロバート・デ・ニーロが「レイジング・ブル」でみせた手法です。
私はこれがあまり好きではありません。
役者ならそのままで太っているよう感じさせたり,あるいは憔悴のあまり頬がこけたような表情も演技でみせてほしい。
勿論,それには限界があるので多少のデ・ニーロアプローチはわかります。
でも,そればかりでは「演技」ではないと思います。
昨今はデ・ニーロアプローチをする役者さんを「役者根性がある」と評価する向きがありますが,
「ちょっと違うんじゃない?」
と私は思っています。
「レイジング・ブル」のロバート・デ・ニーロはボクサーの体型から引退後に太った姿までみせてくれました。
たしかにその工夫には脱帽しましたが,この映画はそこがみどころではないと思います。
デ・ニーロもデ・ニーロアプローチなどといわれて喜んでいるのでしょうか? どうも違うような気がします。
手法だけが独り歩きをしてしまったことを残念に感じているのではないかと推察します。
「ロッキー」の感動
1976年の作品「ロッキー」は無名俳優が脚本を書き主演した作品です。
これが世界的に大ヒットしました。アカデミー賞も受賞しています。
それほどひねりがあるわけでもないストーリーで,「そうなるだろう」という展開をみせます。
ですが多くの人を感動させました。
ベタなストーリーゆえに役者の肉体表現と相俟って強烈なリアリティを感じさせたからだと思います。
ところで主演のシルベスター・スタローンは演技が下手だといわれます。
私は外国人俳優の演技の巧拙がわかるほど外国語や外国文化に精通していませんので,この点はよくわかりません。
ただ,彼が演じたロッキー・バルボアは誰もに希望をもたらしただろうと思います。
そして目標に向かって闘い抜くことの尊さをみせてくれました。
多くの人がロッキーの奮闘に拍手を贈ったのはだからこそでしょう。
そういう意味で,うますぎるくらいうまい表現だったと思います。
スタローンが肉体すべてを使って表現したからこそロッキー・バルボアは映画史上に輝くヒーローになったのでしょう。
suggestion
こういった役者が肉体を賭けて表現し感動を呼ぶ作品をみていて考えます。
我々司法書士は依頼者にどういう姿勢で対処すべきか。
上記の各作品からはそれなりの示唆を受けます。
それが何であるか? あえてここに書くことはしません。
おそらく司法書士にかぎらず仕事をするうえでは重要なことだと思います。
文字にしてしまうのが惜しいくらいに。
★ 写真はチャールズ・ブロンソンとジェームズ・コバーン共演の「ストリートファイター」(1975年)。
当時のブロンソンは既に54歳です。
次は「レイジング・ブル」(1980年)のロバート・デ・ニーロ。
最後は「ロッキー4炎の友情」(1985年)のスタローンとドルフ・ラングレン。
敵役のドルフ・ラングレンは本作でスターになりました。