4月1日は入社式や入職式が行われたようです。
ここでは、とりあえず「入社式」と書くことにします。
この入社式が「様変わり」したような報道を目にしました。
どう変わったか?
服装は自由で金髪もOKみたいな会社があったというのです。
これは「時代の変化」を表しているのか?
私にはそうは思えないのです。
単に、企業が若者に迎合している滑稽な姿にしか見えません。
「学生時代と同じでいいよ」
「社会人としての自覚はいらないから」
こういうメッセージになりかねないのです。
有名な大企業でも社長がノーネクタイで挨拶をしたそうです。
これは正しいのか?
私は随分と失礼な経営者だと思いました。
自由な雰囲気を表現したつもりかもしれません。
けれども、新入社員にとっては人生の節目です。
経営者は彼らを迎えるにあたり、敬意を表すべきでしょう。
モーニングを着用せよとはさすがにいいません。
でも、スーツを上品に着こなして「大人の流儀」をみせる大事な機会でした。
「けじめ」というものをあまりに意識しない入社式がどういう影響を及ぼすか?
たしかに、服装はある程度は自由化してもよいでしょう。
しかし、金髪に染めた社員が銀行でおカネを扱うのは来店者にどうみえるのか?
Tシャツ姿のロン毛社員が都市開発のプロジェクトについて話すとうさんくさくないか?
世間は今もスーツや髪型に規律を感じ、それに信頼感を覚えるのです。
おしゃれはある種の制約の中でこそ、その人の自由な感性を光らせることができます。
すべて野放しにするのは、その人の個性を際立たせるチャンスを失わせる可能性も。
社会人としては、社会における暗黙の了解の下に服装等を考えるべきでしょう。
こういうことを書くと、「海外では・・・」という批判があるかもしれません。
でも、海外でも同じです。
日常のオフィス業務では自由な服装。
対外的な折衝業務ではきっちりスーツを着こなす。
これが第一線のビジネスマンです。
使うペンも100円のボールペンなんてとんでもない。
ウォーターマンとかクロスのボールペンが登場します。
歴史好きの人は思い出すかもしれません。
織田信長が斎藤道三と会見をした際に、ラフすぎる服装の行列をみせておき、
会見の場ではビシッと衣冠束帯でキメたというエピソードを。
学生から社会人へ。
ひとつの「けじめ」をつけるべきときに、それをユルユルにする。
情けないオトナが多くなったものです。
★ 大河ドラマ「麒麟が来る」の信長(染谷将太さん)
左:斎藤道三との会見前 → 右:会見時