民法の条文には
「第三者に対抗することができない」
と書かれたものがいくつかあります。
この表現が二通りの意味で使われていることを説明できるか?
これがシロウトとクロウトの岐れ目のひとつかもしれません。
ひとつは、たとえば以下のようなケースです。
AがBに土地を売った。B→Aの代金支払は終わったが、A→Bの移転登記未了。
Aは同じ土地をCにも売った。C→Aの代金支払は終わったが、A→Cの移転登記未了。
このケースでは、BとCのいずれが所有者なのかを登記の有無で決めます。
つまり、BとCはひとつの権利をめぐって対立関係にあることになります。
Bが先に登記を得ました。Cは自らの所有権を主張できません。
これが「A→Cの所有権移転をBに対抗することができない」と表現するのです。
これが第一の意味。
では、もうひとつは?
たとえば、A→Bの売買が実際には行われていないのに、しめしあわせて行われたことにします。
高価な絵画の所有者をBにしておく方が、Aにとって都合がよい場合があるのです。
Bはニセ所有者となったのですが、売買契約書は存在します(AB間ではニセモノの合意あり)。
Bは「これをCに売って儲けよう」と思い、自分は「Aから買ったのだが・・・」とニセ契約書を示します。
Cは「これは掘り出し物だ!」と喜んで代金を払います。
絵画が依然としてAの手元にあるので、Cは「さあ、早く渡して頂戴!」とAにいうでしょう。
こういう場合に、Aは
「いや、それはBに騙されたんだよ。これはホントはオレのものだから」
といえません。
これが第二の意味です。
そもそもA→Bの売買は無効です。
だからAは絵画の所有権を誰に対しても主張できるはずです。
・・・が、Bが所有者であるような状況をつくった責任があります。
だからAの所有権は否定されるのです。
そうしないと「信じる者(C)は救われる」ことになりませんから。
こうしてAは自らの所有権をCに主張できなくなります。
こちらは最初のケースと異なり、ひとつの権利を争う関係の話ではないのです。
Aはもはや権利を認められないーこういう結論になるのです。
なお、法がCを救済するためにA→Bの無効な売買を有効にするというものではありません。
「法律家」を自ら名乗ったり、法律のプロであると自認する人たちには、この程度の説明は朝飯前。
仕事を依頼する先を選ぶ際に、
「第三者に対抗することができないってどういう意味ですか?」
と質問してみるのも面白いかもしれません。
「フィルター」のひとつに使えます。
ただし、意地悪な依頼者だと思われてしまうかもしれません。
この点だけはご注意を。
★ 「対抗」ということで「ヤクザ VS マフィア」
米国では“American Yakuza”というタイトルで公開されました。
主演はヴィゴ・モーテンセンと石橋凌さん
2人とも若いです。1993年の日米合作映画。
日本版タイトルがあまりにも露骨ですが、殺伐とした世界を表すにはこれでいいのかもしれません。