学生時代に一人暮らしをしていると、友人からよく頼まれました。
「泊めてくれや」
概ね3分の2は断っています。
理由は、せっかく夜に一人で寛いでいるのに邪魔されたくないからです。
あるいは読書の時間を確保したいから。
それでも、断ってばかりでは友人関係がまずくなるので、3分の1くらいは受け容れています。
3分の1程度の受け容れで人間関係は保たれました。
一方で、女性からの「今晩泊めて」はお断りしました。
こういう私のスタンスは、しばしば「もったいない」「据え膳食わぬは男の恥や」と批判されました。
それでも、一人の時間は私にとって重要だったのです。
それに、女性を宿泊させれば、若く健康な私も自制心を失って・・・という展開はあり得ます。
そうなるとその女性が「居ついてしまう」恐怖の結果を招きかねません。
自制心に自信があっても“No”を貫いたのは、一人の時間を、
そして、一人になることができる場所を大事にしたかったからです。
そういう姿勢の私は狷介な人間のようにもみられていたような気がします。
「泊めてくれや」「今晩泊めて」は私に対する信頼や親密さを示す言葉でしょう。
それを素直に「いいよ」と受け容れることができない私は、たしかに狷介な人間でした。
今の私なら、もっと深く友情を交わすことができたかもしれない。
そう思うと「もったいない」ことをしたと思います。
ただし、今の私でも「深く情を交わすこと」は回避します。
やはり、一人の時間と場所が・・・
“Will I see you tonight?”
“I never make plans that for ahead.”
というやりとりをやっていたつもりはないのですが・・・