福岡県糸島市 司法書士 ブログ

潔さ

ゴミを投げ捨てる子供

潔さがない子供が増えた・・・ような気がします。

自宅兼事務所の隣にある公園で遊んでいた小中学生の集団がいました。

彼らは帰り際に自分たちのゴミを公園のフェンスの向こう側の樹林に投げ入れました。

それをみていた私は即座に注意しましたが、白を切るのです。

「やっていません」

「いまみたのだが」

「録画とか証拠でもあるんですか?」

さすがに許せなくなりました。

「目撃証言の方が重要である。認めないのであれば、不法投棄なので警察に捜査を求める」

こういうと、次は

「学校には言わないでくれますか?」

というのです。

自分たちがある程度の安全を確保しないと非を認めようとしない。

かなり世慣れた-というよりはスレた子供たちのように感じざるを得ませんでした。

動物を追い回す子供

高校生が地域猫ベルンハルト・グリュンを追い回しているのを注意しました。

やめません。無視。

周りの仲間から諭されて漸くやめました。

私のことを完全にナメきっているようです。

動物の愛護及び管理に関する法律に違反していますので、その旨を指摘しました。

だんまりです。

名前を問うても名乗りません。仲間は名乗りましたが、当事者はだんまりです。

おそらく、じっとやり過ごせば何とかなると思っているのでしょう。

実に不遜で世の中をナメた態度だと思いました。

15歳の子供が、潔く非を認めず、ひたすら「黙秘」してかわそうとする。

驚きでした。

叱れない大人の責任

こういう白を切ったり、だんまりで逃げおおせようとする子供になるのはなぜか?

これも「おそらく」という話になりますが、しっかり叱ることをしなくなったからだと思います。

「褒めて伸ばす」ことは素晴らしく、「叱る」のは相手を否定することだからよくない。

こういう風潮がはびこるようになってからの現象のように思われるのです。

大人が叱られないから子供は高を括る。大人を大人としてみなくなる。

また、叱られた経験が乏しいゆえに、叱られた場合の対処方法がわからない。

彼らは自分たちがやった行為が正しいとは認識していません。

だから言い訳をして逃げようとするし、黙ってやり過ごそうとする。

潔く非を認めれば、本人たちの心には何の曇りも残らないでしょう。

認めなかったことが自身の心にどういう影響を及ぼすか?

そこまで考えが至らないのでしょうが、可哀そうだと思います。

褒めるのは難しい?

私が会社員をしている時分に、管理職になる直前の研修で言われました。

「叱る」は文字がやさしい。一方で「褒める」は文字が難しい。

字の難易のとおりで「褒める」ことは難しい。

部下の育成・指導にあたっては、「褒める」ことに取り組みましょう、と。

私はビックリしました。

「叱る」ことの方が圧倒的にむつかしいのです。

褒めることは容易にできます。

それに、別段「褒める」という文字が難しいわけでもなく、完全にこじつけです。

しかし、叱り方はTPOから相手のキャラクターまで考えて選択しなければなりません。

故野村克也氏は「叱る」ことの重要性を説いていました。

その氏は「名将」と呼ばれます。

プロ野球の世界で「名将」と呼ばれる人の多くは叱る人でした。

故星野仙一氏に故西本幸雄氏。

お二人とも鉄拳制裁(その当否はともかく)辞さずという熱い人でした。

褒めまくる「ええで」の故上田利治氏もいますが、名将には叱る人が多いのです。

叱る側にも葛藤があります。

傷つけるのではないか?嫌われるのではないか?

でも、それを乗り越えて叱ることができてこその大人ではないか。

私はいつもそう思っています。

白を切ったり、やりすごそうとする潔さのない子供が今後どう育つのか?

かなり心配です。

 「ダーティー・ハリー」のクリント・イーストウッド

  犯罪者をとことん追い詰め、きっちり片をつける刑事ハリー・キャラハン

  今の時代には流行らないのかもしれません。

  しかし「勧善懲悪」ということはいつの世にも妥当するはずです。

  悪いことをすればやっつけられるーこういう映画やドラマが減ったことも

 非を認めない人たちを生み出しているような気がしなくもありません。

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