福岡県糸島市 司法書士 ブログ

捨てる

やむを得ずに

自宅で開業するにあたり,手元にあった学会誌などを大量に整理しました。

整理というのは,廃棄です。ネットオークションで売るような面倒なことはしませんでした。

本当は捨てたくなかったのですが,仕事をするスペースや新たに購入した本を置く場所を確保するために,

泣く泣く捨てざるを得ませんでした。

捨てるべくして捨てた

ついでに小中高校時代のアルバムや卒業証書も捨てようと思い立ちました。

ところがみつかりません。もしかすると,会社員時代の転勤の際に徐々に捨てていたかもしれません。

よく思い出せませんが,手元にないということだけはたしかです。

学歴を証明するにしても最終のものがあれば済みますから高校の卒業証書は不要です。

また,18歳までの人生には良い思い出がないので,捨てても惜しくありません。

大学に入って実家を離れるまでは,常に重く垂れこめた黒い雲の下にいるような気分でした。

いつ土砂降りになったり雷雨になるかを心配するような気分だったのです。

そういう理由もあって,小中高校時代のものは手元に残っていないのでしょう。

中学校と高校のバッジもありませんし,卒業記念品も残っていません。

いつ捨てたかさえ定かではありません。

同窓会には出ない

そして,ある時期から小中高校の同窓会には出ないことにしました。

親しい友人はいましたが,現時点までつき合っている人はいません。

つき合っていないということは,お互いがお互いを必要としていないからでしょう。

社会人になってから出席した同窓会の会話がつまらなかったのも私が同窓会に出ない理由です。

そのときは既に出席する気がなかったのですが,クラスメイトから

「クラスの中心だったあなたが出ないなんて」のように言われ,

妻からも「せっかくだから」と促され,しぶしぶ出席しました。

そして,結果的に「出なけりゃよかった」と思ったのでした。

所属する組織,つまり勤務先での立場(ポスト),年収などの話,どんな車に乗っているかというような話,

これを繰り返し質問され辟易しました。中でも着ているスーツの値段を聞かれたのは驚きでした。

感じたのは,学校に通っていた時分は共有できた価値観や視点も共有できなくなっているということでした。

「転勤したら連絡先を教えてくれ」といわれましたが,そのままにして今に至っています。

ただ,今にして思えば,やはり18歳までの暗雲の下での生活を思い出すことがいやだったというのが

同窓会忌避の最大の理由かもしれません。

過去との対話

私は2010年9月に鬱病の診断を受け,療養生活に入りましたが,それを脱するきっかけとなったのは

過去との対話,つまり記憶と向き合う作業でした。

2016年の夏にそれをやるまで,霧の中に生きているような感じでした。

生きる気力もなくなっていたのですが,かろうじて猫たちが私を生かしてくれていたのです。

そして,過去と向き合った結果,霧は晴れ始めました。病気の原因が完全にわかったのです。

最近になって,すべての軛から解き放たれ,完全に自由となり,晴れ晴れとした気分です。

では同窓会に出るか? たぶん出ないと思います。

長く顔を合わせず,お互いに気にもせずに過ごした相手と,刎頚之友のような雰囲気で談笑するのは

どこか嘘くさく,自分の流儀には合わないからです。捨てたものを拾わないのが普通だし。

 

 

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