色々なところで押印廃止が進んでいる印象でした。
ところが、最近はそれが鈍っているようにも感じます。
「押印廃止」・・・これは河野太郎元行政改革担当大臣が進めた取組みです。
改革した印象だけは残りましたが、改革だったのか?
廃止の動きが鈍くなってきたのは、「改革」の欺瞞性に多くの人が気付き始めたからかもしれません。
サイン(署名)ではなく押印によって文書の信頼性を担保するのが日本人の「感覚」です。
認印であろうと、押印という行為に込められた気持ちがあるように思います。
それは決意であったり、覚悟であったり。
それに日本人は幼いころから自分のサインを練習するようなことはありません。
ですから気分や道具によって文字の形が変わってくることもあります。
ボールペンばかり使っている人に万年筆でのサインを求めるとうまく書けなかったり。
そして、サインは文字をいくつか書かなければなりませんから面倒です。
それに比べて押印はちょこっと手を動かすだけで終わります。
記名(印字)・押印という形が一番ラクだと思います。
河野前大臣の「改革」は、結局我々に多少の労力を強いるものにしかならなかったようです。
なお、ドイツ人やフランス人によれば押印は「カッコいい」そうです。
日本旅行や留学の記念に印鑑を作る人も少なくないそうです。
押印廃止よりも自分の気に入ったデザインの印鑑を作ることを推奨した方が面白いと思います。
個性あふれる文字や印材、それに施す装飾などを楽しめばいいのではないでしょうか。
せっかくの文化を否定的に捉える視点には強い違和感を覚えました。
というわけで、「改革」の印象操作のために利用された印鑑を私は大事にしたいと思う次第です。
デジタル化に逆行する?
そういうことはありません。電子署名などはデジタル化推進の一環として広めればよろしい。
でも書類による申請や証明の制度が消えてなくなるわけではないのです。
それらの信頼性は押印で、ということを考えるべきです。
諸外国でもサインが廃止されたなど聞いたことがありません。