被害者参加制度の問題点
司法書士が刑事事件に関与することはほとんどありません。
ですが,法律にかんすることゆえ考えをめぐらせることは少なくありません。
今回は刑事訴訟における被害者参加制度の話です。
私は保守派・守旧派と呼ばれるかもしれませんが,この制度を好ましいものとは思っていません。
寧ろ,刑事訴訟法が目指す人権保障と真実主義の調和に反する結果を招きかねないと考えています。
それは以下の理由によるものです。
1 被告人は,被疑者段階で取調べにあたる警察官に厳しく追及を受けている。
2 被告人は,被疑者として検察庁に送致された後に検察官にそれなりに追及を受けている・
3 起訴されて被告人となり,公開の法廷で不特定の傍聴人の前にさらされ,厳しい視線を浴びている。
という流れで,最後に裁判官に向かって自分なりの言い訳をしてその判断を仰ぐわけです。
しかし,そこに被害者あるいはその家族の厳しい目があり,さらに直接の質問を受けるとなると,
当然ながら萎縮してしまい,情状に繋がるはずの発言ができないかもしれません。
場合によっては,結果の重大性に対する悔恨と厳しい被害者あるいはその家族からの叱責によって,
被害者側の過失となるべき事実を正確に話すことができなくなるおそれがあります。
結果として,被告人はすべて検察官や被害者あるいはその家族のいうがままに事実関係を認め,
それに基づく刑の量定に従ってしまうということになりかねません。
これが私の考えです。その考えを一層確かなものとするに至った事件を以下に紹介します。
法廷は糾弾の場?
ある交通事故の加害者Aが起訴されることになりました。
当初,検察官は起訴猶予にする予定で,Aにもその旨を告げていたのです。
しかし,被害者B(重傷で入院中)の妹Cは検察官に強い被害感情をぶつけました。
仄聞するところでは検察官がその業務に支障を来すくらいの状況が生じたそうです。
この交通事故は,深夜に幹線道路を横断中のBがA運転の乗用車にはねられたというものです。
現場は片側2車線の道路で,Bは横断歩道がない場所を横断しており,飲酒していました。
また,事故発生直前まで携帯電話を使ってチャットのようなことをやっていたこともわかっています。
一方,Aはハンズフリーの電話で話しながら運転していました。スピードは法定速度を10キロ程度超過していました。
この事実関係からは,被害者(負傷者)Bにもそれなりの過失があるといえます。
検察官がAについて起訴猶予の判断をしたことは,交通事故事件を多数みてきた私には納得感があるものでした。
しかし,妹CにはAに対する憎悪ともいうべき感情があり,自身の兄Bの過失を認める気はありません。
結局,Cの剣幕に押されて検察官はAを起訴することにしたようです。
実際の法廷では,CはかなりウソをついてAを非難しています。
もしかするとCにはウソをついている自覚はなく,自らが構築したストーリーを事実だと信じ込んでいたのかもしれません。
被告人質問で検察官は傍らにいるCを意識しているのか,感情的な言葉を使ってAを責め立てました。
結果的にAはひたすら反省の弁を述べる形になりました。
無論,Aの弁護士は十分な弁護活動をしました。
起訴された以上,無罪はないケースですので,あとは量刑がどうなるか?という問題でした。
結果は罰金70万円でした。
この判決に対し,Cは悔しそうな表情で涙を浮かべていました。
なんとかAを塀の向こうに・・・と思っていたのでしょうか。
被害者の感情が招くもの
私は上記の判決が妥当かどうかについては何ともいえません。
ただ,事実はすべて上記のとおりであるのに,それに対する裁判官の評価には少々首を傾げざるを得ませんでした。
私のような交通事故事件のプロからみれば,明らかにBの過失評価が甘かったのです。
この点だけをとらえて控訴してもよいのではないか,とさえ思うくらいでした。
おそらく眼前でAを責め立てるCの怒りや悲しみが裁判官の判断にそれなりに影響したのではないでしょうか。
怒りや悲しみは事実でもありますが,感情でもあります。この感情に流されたような印象でした。
人は直に強い感情表現に接すると,多かれ少なかれその影響を受けるものです。貰い泣きなどその典型でしょう。
ということは,法廷では被害者がいかに強く感情を出すかが刑の量定に影響しかねないということです。
これで適正な刑罰にかんする判断ができるでしょうか?
私が被害者参加制度に賛成しかねる理由です。
はっきり書くと,この制度にはポピュリズムのニオイがプンプン漂っています。
なぜ,国家が犯罪者に刑罰を科し,私的制裁を許さないのか? 検察官に起訴の権限を独占させているのはなぜか?
いずれも刑事訴訟法の基本原理の問題です。これらの点と被害者参加制度が整合しているかどうか???
大学で被害者学のオーソリティから学んだ私としては,被害者保護は別の形で行うべきであると思います。
法廷を感情爆発によるストレス発散の場にすべきではありません。