福岡県糸島市 司法書士 ブログ

夫婦別姓のこと

夫婦別姓と男女共同参画

最近議論が喧しい「夫婦別姓」についてのお話です。

ある野党の党首がこう言っていました。

「夫婦別姓は男女共同参画の大前提である !」

私はこの発言を聞いて首を傾げました。90度くらい傾げたと思います。

夫婦別姓にしないと男女共同参画は実現しないのでしょうか?

この二つの話は全然リンクしていません。が,リンクさせたいというのが

上記の野党の党首の思惑なのでしょう。与党はどちらかといえば,夫婦

別姓に消極的です。与党がそういう立場だから男女共同参画が進まな

いという印象を作りたいのです。まさに THE 印象操作 !最近の野党と

マスコミの得意技炸裂です。

上記野党の党首が弁護士であることを考えると, 論理的な関連性がな

い話を関係があるかのように装うことに恥ずかしさを感じないのか?と

心配になってしまいました。

夫婦別姓は喫緊の課題か?

以上のように, 夫婦別姓は男女共同参画とは無関係の話です。

そうすると, 今の段階で夫婦別姓の法制化を急ぐ必要があるのか?と

いう疑問がわいてきます。

そして, 国民は, 夫婦は別姓であることが当然で, それが自然な姿

であり, 現状は異様な状況にあると捉えているのでしょうか?

マスコミが流す映像をみると, 夫婦別姓を支持する声が多いように

感じられます。 しかし, この映像はマスコミが選択して流していると

いう可能性があり, 報道をもってにわかに「夫婦別姓が国民の声」

と考えることはできません。  また, 夫婦別姓を支持する人たちが,

たとえば, 複数の子がいる場合には子の氏は統一する(姉は母と

同じ姓で弟は父と同じ姓ということはダメ)という内容が改正案に

なっていることを知っているのかどうか・・・。一度別姓を選ぶと,

その後に変更できないという案であることも知られていないよう

に思います。マスコミは, 夫婦別姓に関するネガティヴな報道を

しないので。

以上から, 夫婦別姓支持という声に関しては額面通りに受け取る

ことは不可能です。

近江教授の議論

私がなにかにつけて参照する近江幸治教授のご著書「民法講義Ⅶ」

ではこう書いてあります。

「『氏』は, 現在の法制度上,  戸籍の単位である「夫婦(家族」の呼称

を基礎としたものである。そこから, 夫婦であれば当然に同氏を名

乗るものとされたのである。 しかし, この考えが戸主制度における

「家族」の呼称制度に由来するものであることは疑いを入れない。

外国では, 婚姻しても同氏でない例も多い。その意味では, 厳格な

夫婦同氏原則は, わが国独特の制度であるといえる。」

近江教授は夫婦同氏原則が戸主制度の影響を今も残していること

を指摘し, それが「わが国独特の制度」, つまり特有の法的文化で

あることを述べています。 そして,  上記に続けてこう述べています。

「翻って考えれば,  夫婦はなぜ同氏でなければならないのか。同氏

であれば夫婦であるという一般的推定が働く以外には,  特段のメ

リットもなさそうである。 しかし, 推定が法律的効果を発生させるわ

けではないし, 相続などにおいても身分の証明が必要なのである

から, 同氏原則が必ずしも必要であるとはいえない。結局, 便宜性

以外には合理的理由を見出せないのである。」

同氏原則について合理的理由は存在する。この点は重要です。

同氏であることが一般的推定を生むことはかなり意味があるので

はないでしょうか。夫婦と子供が同じ姓であれば, 婚姻が成立し,

その夫婦の子であることはほぼ確実にわかるわけで, この「便宜

性」は大きいと思われます。

面白いのは次の箇所です。

「それよりも, 妻がそれまで築いてきた社会的地位や名声など,

同氏によって遮断されることの不利益の方が大きい。また, 一人

娘を嫁がせる場合に, 自分たちの姓を名乗らせたいという親の

希望もあろう。」

近江教授は夫婦別姓制度を支持していらっしゃるのですが, ここ

では「妻の不利益」にのみ触れ, その前提には妻が夫の氏を強要

されているという見方があるようなのです。 本当にそうでしょうか?

婚姻後の姓は夫または妻の氏を称するのであって, 夫の氏が原

則とされているわけではありません。 しかし, 現実には夫の氏が

選択されるケースが非常に多い。 これは誰が強制したものでも

なく,  夫婦となる二人が自由な意思で選択したものです。 また,

妻であれ夫であれ「それまで築いてきた社会的地位や名声」が

そうそう簡単に遮断されるはずもなく, 婚姻後も旧姓を称する

ことは今も一般的に行われているので, 特に問題はないように

思うのです。

私は近江教授のおかげで民法の理解が進んだので, 近江教授

に対して異論を唱えたくはないのですが, この点には賛成しか

ねます。

近江教授は括弧書きで「旧思想的発想かもしれないが, ただ,

血縁的家系を残すという心理は人類に普遍的なものである。」

と述べていらっしゃる点を考えると, 近江教授の発想は, 夫婦

同氏の原則とも結びつくものだということになりそうで, この

記述は読み手を混乱させるかもしれません。

なお, 近江教授のご著書に関しては, いずれ取り上げたいと

思っています。 私にとって近江教授は大恩人なのです。

家制度は悪いもの?

さて「戸籍の話(その2)」で触れたテーマがここで登場します。

たしかに夫婦同氏の原則は家制度の発想と結びついており,

この点だけをみれば旧態依然とした戸主制度や家督相続の

時代から個人の時代への流れに乗り遅れているような印象を

受けるでしょう。

しかし,  現実には「高橋家 ●●家 結婚披露宴会場」とか

「▼▼家告別式会場」のような記載を街中や案内状で目にす

る機会は決して少なくありません。近江教授も「嫁がせる」と

書いているように「嫁に行く」「「嫁をもらう」という表現もいま

だに健在です。「ご主人様」という呼ばれ方は, 私からみれば,

妻が下位におかれているようで好きではないのですが,  「高

橋さんのご主人」と呼ばれることはしばしばあります。 「妻は

下僕かい?」と私は心の中でつぶやいたりするわけです。「長

男だから~」という表現も耳にすることは多いと思いませんか?

こうしてみると, 今も社会では「家」という単位を強く意識して

いることがわかるのです。つまり, 個人主義の時代にはなって

いるものの, 家族のつながりや絆を「家」という単位で確認す

るのが我が国の文化ではないか, と思われるのです。

これは変えなければまずいものなのでしょうか?

 荒井由実→松任谷由実のユーミン。

  姓が荒井から松任谷に変わろうが変わるまいが彼女の音楽の価値には関係ありません。

我妻博士の文章

私が思い出すのは,  我妻榮博士の名著「民法総則(民法講義Ⅰ)」

の次の文章です。

「社会の慣行によって発生した慣習律が, 一つの社会規範として,

社会生活を規律するものであることは, いうまでもないが, この

慣習律が, いわゆる社会の法的確信または法的認識によって支

持される程度に達すると, 社会の中心勢力は, これを法的規範

として承認し, 強行するようになる。 この程度に達した慣習律が

すなわち慣習法である。」

~中  略~

「その後, 社会の中心勢力は, この慣習法の存在と内容を明確

にするために, これを文字に現わして, いわゆる法律の編纂を

行い, またはこの慣習法を修正し善導するために成文の法律を

制定する。」

今の社会において多くの夫婦の一方が旧姓を使用し, それが

「法的認識」に至っているのかどうか?

答えは明らかです。

私の考え

会話の中で, こういう説明をしても, 「高橋さんは夫婦別姓には

反対なのですね」と言われてしまうのです。

私は反対はしていません。 今の段階では法改正の機が熟してい

るとはいえない,ということを述べているのですが, なぜか多くの

人は色分けをしたがります。 必要になれば改正するが, 今は必要

とはいえない。 これが実情だと捉えている次第です。

付言すると, お隣の韓国では以前から夫婦別姓です。 子は父の

氏を称しますので, 家族の中で別の氏を称するのは妻だけです。

その妻は, かつての韓国民法では相続に関しては子に大きく劣

後していたのです。 夫婦別姓が男女平等と不即不離の関係には

決してないことを表しています(今の韓国民法では, かつてとは

異なり, 妻が優遇されるようになりました)。

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