若い人は知らなかったりするのですが・・・
私の学生時代には土曜日の午前中にも大学で講義がありました。
大学3回生の土曜日の1講時は法哲学。
非常に興味深い講義で、私は毎週欠かさずに出席しました。
登録者が多いのか、教室は大教室です。
しかし、出席者は非常に少なく、教授が気の毒になるような状況。
それでもY教授は熱の籠った講義を毎週してくださったのでした。
土曜日の午後といえば、のんびりしたムードです。
キャンパスには三々五々友人同士で楽しそうに喋る学生の姿。
その中で異彩を放ったのは、政治団体系のグループと宗教団体系のグループ。
民主青年同盟と統一教会がいがみ合う場面を何度かみました。
民主青年同盟は創価学会の青年部ともいがみ合います。
創価学会の青年部は統一教会ともいがみ合います。
小競り合いが起きることもありました。
既に、学生が政治を熱く語り革命を夢みるような時代ではありませんでした。
多くの学生は彼らの対立を嗤って眺めていたのです。
ですが、今の国際社会をみていると、彼らの対立そのままです。
政治思想で対立すれば戦争になる。
宗教が相容れなければ戦争になる。
人の内面の自由は絶対であるはずなのに、相手のそれを認めない。
政治思想に関していえば、我が国は自由と民主主義を重んじる立場。
多くの人がその体制を支持しています。
人権よりも思想の統一を重んじ、独裁政が行われる国とは相容れません。
この対立は理解できるのです。
しかし、宗教に関する対立を理解できる日本人は少ないかもしれません。
北アイルランドではカトリックとプロテスタントの対立が長きにわたる紛争を招きました。
中東の紛争もユダヤ教とイスラム教の対立によるものです。
我が国では主に江戸時代にキリスト教が禁令となったくらいでした。
今や、キリスト教徒でもないのに教会で結婚式を行い、クリスマスを祝います。
正月には神社に初もうで。葬儀は仏式で戒名に高額の費用をかけたり。
深刻な宗教対立に直接関与するような機会はありません。
私の学生時代の土曜の午後は貴重な宗教対立をみる機会だったようです。
なお、私は、当時は希少種になっていた新左翼と喧嘩をしています。
「キャンパスに入れろ!」
「入れない!」
「図書館に用があるんじゃ!」
「そんなん知らん!」
「そんなに大学が嫌いならやめれ!」
「我々には大学に突っかかっていく権利がある!」
「その権利とやらを行使してワシの人権を踏みにじるんか?」
要約するとこういう感じでした。
まだ「封鎖」みたいなことをやってしまう連中がいたのです。
飲み込んだ言葉があります。
「おどれらのやっとることは●ん●りじゃ!」
不適切な表現ゆえ伏字にいたしました。
★ 「仁義なき戦い 広島死闘編」の千葉真一さん as 大友勝利
伏字にしている言葉をそのまま使うシーンがあります。
「仁義で●ん●りかいてクビくくっとれいうんかい!」