大人の友情なんて儚いものだな。
そう感じたことが何度かあります。
社会人になって最初に友人となるのは同期入社の人たちでした。
私はもともとサラリーマンとして大成するようなことを目指していなかったからでしょうか。
彼らをライバルだと感じたことは一度もありません。
しかし,彼らの多くはそうではなく,お互いが切磋琢磨する間柄であり,
場合によっては蹴落とすこともやむを得ない対象と考えていた・・・らしいのです。
私が管理職になった際に地団駄を踏んで悔しがった人がいたそうです。
他人がどうなろうとあまり関係がないような気がしますが,そうではないみたいなのです。
最初に勤めた会社(A社)を辞めるときに随分惜しんでくれた友人がいました。
かなり親しくしていたのですが,裏では
「あいつがいなくなれば席が一つ空く」
と喜んでいたそうで,やりきれない気分になりました。
その後に転職した会社(B社)に勤務している途中で私はうつ病になり休職することになります。
それを聞いたA社の同期入社の友人は
「これであいつも終わりだな。復帰しても窓際だ」
と笑ったそうです。
これもまたやりきれない気分になりました。
同じA社にいる「ライバル」ならまだしもB社にいる私のポストなどどうでもよさそうなのに。
B社では親身に心配してくれた人もいましたが,やはり「これであいつも終わりだ」と言った人がいたそうです。
サラリーマン同士の友情などこの程度なのかな,と思いました。
古い友人にも私がうつ病になったと知るや,盛んに私の懐具合を聞き出そうとする人がいました。
収入がなくなり,妻がパートで家計を支えて貧しく暮らしているという想像をした(い)ようで,
その想像が私に対する問いの中にちりばめられていて辟易したものです。
幸か不幸か子供がいないため,それなりに蓄えがあり,数年は勤務先からの収入もあるので,
経済的に困ることはまったくなかったのです。
しかし,彼の中では「困窮する私」の像が具体的に出来上がっているようでした。
そのうえ電話では,自分が今はいかに恵まれた立場で収入もアップしたかを強調します。
「おいおい,それなら貧しい設定の私にいくらかめぐんでくれよ」
と心の中で苦笑していました。
結局,うつ病になったのを機に友人関係の見直しを大胆に進めました。
結果的に残った人はごく僅か。真に親友と呼べる人は女性1名となったことは以前にも述べたとおりです。
お互いが損得を考えずに接し,本音を打ち明けてよい存在こそ「友」と呼べるのではないでしょうか。
「男同士の友情」を特別視する向きもあります。
しかし,男同士ゆえの嫉妬心やライバル意識というものはかなり厄介であるように感じました。
かえって男女間ではそういうことが起きにくいのかもしれません。
前にも男女の友情について述べましたが,以前の私同様に「不成立説」の人は多いようです。
いまだにその女性と長いつきあいが続いていることを知った元上司が
「君たちはまさか・・・」
と下種な勘繰りをしたのは,やはり男女間の友情などあり得ないという前提に立っているからかもしれません。
「残念ながら(?)清く正しい友情を育んでおります」
と答えておきました。
★ 「白い巨塔」の財前五郎(田宮二郎)と里見脩(山本學)。
左は誤診にかんする訴訟について里見が財前に諫言するシーン。
右は,ドラマの前半で里見が膵臓癌を疑い財前に試験開腹を依頼した結果,里見の疑い通りにごく初期の膵臓癌を発見し,
見事な手技で手術を成功させた財前と術後に語り合うシーン。
二人は敵対する立場になりますが,財前は自分の最期を前に里見の友情に心から感謝します。
このエピソードはドラマオリジナルで小説には出てきません。