「リストラされて・・・」という表現を目にすることがあります。
そういう話を聞くこともあります。
この場合の「リストラ」は「解雇」を意味しているのですが、実は日本語特有の表現です。
“restructuring”のほんらいの意味は、
「再構成すること」「整備すること」「再編すること」あるいは「改革すること」
であって、解雇だけを意味するものではありません。
寧ろ、解雇の意味はなく、企業が組織の再編や再構成をする際の人員整理だけに
無理やり着目した結果として日本で生まれた表現のようです。
今の我が国では「リストラされる」という表現をよく使うようになりました。
「今の」と書きましたが、既に20年前からそういう意味にしか理解しない人もいたのです。
私が勤務していた損保会社を辞め、政府系特殊法人に転職した際の挨拶状に
「自己リストラの一環として仕事を変えることにしました」
と書いたのです。
普通に読めば、「自身の生き方の再構成のひとつとして転職した」と理解するはずです。
ところが、面白いことに、次のようは反応がありました。
「大変だと思いますが、頑張ってください。私にできることがあればなんなりとおっしゃってください」
「色々とお辛いことと存じますが、私でお力になれるようでしたらお申し出ください」
私は自分の意思で辞め、自分の意思で職場を変更したのです。
しかし、この人たちはどうやら私がクビになったように受けとめたようなのです。
苦笑しました。随分とみくびられたものだな、と。
前者は、世間的には知的水準が非常に高いとされる職業の方の反応です。
本当に驚きました。同時に考えてしまいました。
1 いい人たちだな。
2 字面どおりに解釈せずに、勝手に他人の人生を暗転させているけど、大丈夫なのかな?
3 意外に国語力がないな。
以前にもブログ記事で触れましたが、人は相手を下にみようとする傾向があります。
あるいは、否定的な視点を使ってしまうクセがあるともいえるでしょう。
どこかで自分の優越性を確認したい本能があるのかもしれません。
20年も前から「リストラ」は運命の悪化を意味する言葉として我が国で認識されていたのです。
今や「解雇」を意味する言葉として完全に定着した観がある「リストラ」。
もう少しほんらいの意味に目を向けてみるべきではないでしょうか?
その方が前向きで健康的だと思うのですが。
★ 映画「仁義なき戦い 代理戦争」の一場面
左から文太さん、山城新伍さん、そして成田三樹夫さん
そして、右端にもみあげがみえているのが田中邦衛さん
映画の終盤で、成田さん扮する松永は、山城さん扮する江田に
「こんな、広能(文太さん)とは昵懇じゃったらしいが、どっちの側で戦うんない?」
と迫られます。
「どっちいうて、わしゃどっちこっち恨みはないけん、中立でおるよ」
と答える松永。それに対して
「中立は認めん。こっち側で立てんいうんじゃったら、この際足洗って堅気になってくれい!
以後、ここへは出入りせんでくれい!」
と若頭武田(小林旭さん)が迫ります。松永は一礼して去っていきます。
この松永のモデルになった人は、実際に堅気になり、休日のビル清掃を請け負う会社を立ち上げて成功しました。
文太さん扮する広能は破門(解雇)されているのですが、松永の場合は、一種の自己リストラだと思います。
上記のやりとりは、熱の籠った見ごたえのある演技が連続するシーンです。