今年は卯年です。
昨日の「さわやか自然百景」(NHK日曜日朝7:45~)にノウサギが登場しました。
石川県・富山県・岐阜県・福井県にまたがる白山の映像です。
ノウサギとホンドテンやクマタカの命の攻防。
この番組を観ていて苦い思い出が蘇りました。
ある家族がウサギを飼い始めたのです。
驚いたことに、庭に放し飼いです。
すぐにいなくなってしまいました。
逃げ出したのか?
イタチやテンに襲われたのか?
で、家族はどうしたか?
子供がねだって、次のウサギを迎えました。
ウサギ用の餌を一応は買ったようですが、袋の口が開いた状態で庭に放置。
ウサギについては父親が「雑草処理係」という始末。
そして、またいなくなりました。
前の失敗を繰り返すのはなぜなのか?
同じことが起きるという想定は誰にでもできました。
結局、この家族には命を引き受ける覚悟がなかったのです。
当然ながら子供には覚悟などあろうはずがありません。
単に「かわいい」くらいの気持ちで飼いたいとおねだりします。
そうなると、命を引き受けるのは親の責任です。
その親に命を引き受ける覚悟もないから同じ失敗を繰り返す。
それを特段悔いるわけでもない。
あまりにも生命への畏敬の念が欠けているというほかありません。
生き物を飼って世話をすることにより命の尊さを学べます。
多くの場合は飼育されている生き物が先に死んでしまいます。
子供はそれを経験することで得るものが多くあるでしょう。
弱いものへの思いやりの大切さを知る機会があるでしょう。
親に守られている自分が守る側に回った自覚も育つかもしれません。
けれども、上記のような飼い方をすると、子供は命を軽視するようにならないか?
生き物を取り替え可能な部品のように感じていないのか?
心配です。
私は二匹目のウサギについて、この家族に警告の手紙を送りました。
ペット用のウサギはノウサギとは異なり、野生のような環境では生きていけないこと。
庭には有害なユリ科の植物があり、ペット用ウサギがそれを識別できずに食べる可能性があること。
庭へはイタチなどの天敵の侵入が可能であり、常に命の危険にさらされていること。
ウサギを家族の一員として屋内で育ててあげて欲しいこと。
しかし、この手紙が届く直前にいなくなったそうです。
今でも悔いが残っているのです。
飼育されている環境を目にした日にウサギを私が連れ帰ればよかったと。
テレビの画面ではウサギが雪原を走り去っていきました。
どうか、あのウサギが難を逃れ、元気に野性化して走り回ってくれていたら・・・
そう思いましたが、まず無理な話です。
自分が強引な行動に出なかったことが今でも悔やまれてなりません。
その家族たちに対しては怒りはありません。
あるのは諦めだけです。
怒りを感じるのは・・・何もしてあげられなかった自分自身に対してです。