後見等開始の審判を求める申立をする際に、依頼人と会います。
その際に「この方は、果たして法定後見が必要なのだろうか?」と思ったことがありました。
しっかりしているのです。受け答えにも衰えを感じさせるものはありません。
診断書を医師がどう書くか?
二度目にお会いしたのは、最初の面談から1か月半くらい後でした。
急激に衰えていました。
なじみの土地での一人暮らしを希望されていましたが・・・
ちょっと難しいかもしれません。
別件で、入院中の依頼人と会いました。
この方は会話が成立しづらく、保佐開始を申し立ててほしいという支援者に
「後見レベルではないでしょうか・・・」
と答えるくらいの印象を受けたのです。
それから1か月が経過して、次は施設でお会いしました。
独居生活を諦め施設に入ったのです。
表情が全然違っていました。朗らかで、会話も弾みます。
残念ながら、時折問いと答えがすれ違うこともありました。
それでも入院中からは別人のようによみがえったような印象を受けました。
おそらくーということになるのですが、環境の影響だと思われます。
前者の例は、入所先の雰囲気に馴染めていない様子が感じられました。
一方、後者の例は、施設が本人にマッチしたのでしょう。
職員ともいい感じで接していたのです。
この依頼人は、セルフネグレクトの状態で荒れた生活に陥っていたようです。
それでも「きれいな部屋で過ごしたい」と希望していたのです。
おそらく自分自身では為す術がなく、部屋が荒れていったのでしょう。
施設に入ることで、希望どおりにきれいな部屋で生活できるようになりました。
それが精神面でよい効果を生んだのは間違いがなさそうです。
こういう事例に接していると、生きる環境の大切さを感じます。
だからでしょう、人は好みの調度品を部屋に置き、庭木や草花にもおカネをかけます。
犬や猫を家族に加えたりすることも、自らの快適さの追求のひとつの方法でしょう。
件の依頼人は、それほどおカネをかける余裕はありませんでした。
その中で、ひとつだけ願っていた「きれいな部屋で過ごす」こと。
この願いがかなったのは、ご本人にとって本当に大きな出来事だったのではないでしょうか。
翻ってみるに、私自身は快適に過ごしています。
猫と日々接し、妻が主体となって作った庭を眺め、好きな本を読むことができる。
ありがたいことなのです。
もっと今の環境に感謝すべきなのかもしれません。
★ ベルンハルト・グリュンの散歩につきあう幸福がいつまでも続きますように